⑥違うということが、拒否されたり認められない空気があった。
【オカリン】
安心できる場って否定されない場だと思った。その前提でいるから安心できる。学校は否定されやすいのかなと思った。高校は大学受験があるから、競争的な感じだから。
【くう】
成績がいいとかわるいとかもあるけど、自分と違うというのを見つけられると異物感としてみられる感があった。排除される空気を感じるようになった。違うからもういいですとなってしまったと思う。
【よし】
排除される空気があるのはなぜかな?
【くう】
世の中ってこんなもの、と言う空気が日本中にあって、それが学校でも家庭でも職場でも影響している。
【オカリン】
知り合いの話だけど、みんながそう思っていると言った人がいて、みんなというのがほんとにみんななのかわからない。学校も空気でそう思っているような、ちょっとしたことでみんながそう思っていると思ってしまう。はっきり言わないから。
【よしぴ】
自分が合わすのをやめますと言っても、それはそれで怖い。自分を確立していたわけでもないし。
違うということをおおらかに受け入れる感覚になれない。
【オカリン】
話し合いができれば解決できるのかもしれないけど。
【よしぴ】
自分と違うことに対して、受け入れる余裕がない。隙間がない。
⑦自分の感じたこと、考えを話せなかった
【よし】
自分を出すってどうして怖いんだろう。
【よしぴ】
出し方がわからない。
【オカリン】
周りが受け入れてくれることを選んで出していくからほんとがわからなくなる。
【ちぃたろ】
自分を出そうと思っても受け入れてもらえず、意見が言えなくなり、ある時自分を主張しろと言われてできなくて絶望する。
【よし】
研修でみんなから意見が出るようにしましょう、という事をやった。意見を出しやすくするための方法みたいなのがある。みんなの前で意見を言う事って大変。そういうことを訓練することも必要。
【よしぴ】
私の場合(中学までは)、いろいろな人がいてあたりまえだった。ずれててもおおらかだった。高校になって今までの付き合いがゼロになって、同じ人たち(偏差値)の集まりというのが強くなって、自分が感じたこととかを話すというより、テレビの話しとかそういうことしか話さない。私がそういうことしかしたくなかったのかもしれない。はずれることが怖くなって。話すとぼろがでる。自意識過剰かもしれないけど感覚が違う感じがあった。そういう話は避けていた。
友達は聞いてくれていたけど、それにたいして、返せない。返し方がわからなかった。
人にこう思うというのを話す経験がないまま大人になった。
【オカリン】
高校では自分もそうだった。
【カボ】
自分が強すぎて、他の人の意見を受け入れられなかった。自分でも視野を狭めていた。一人になるにつれて一人が強くなる。意地と言うか、学校のなかではなく、自分のなかだけでやっていくと、自分のなかだけで解決したくなっちゃう。助けを求める感覚がなかった。小学校のころからずっと。プライドが高いのかな?人に打ち明けられない。
【よしぴ】
最初は(みんなに合わせるように)頑張っているけど、無理しているとおもって、頑張るのを辞めるようになった時期はある。そういう時期が続くと友達は距離を置くというか、違う感じになって、自分から離れていくというより、そうなってしまった。
自分もいっぱいいっぱいだったけど、みんないっぱいいっぱいだった。時間的にもやらないといけないこととか評価とかもあるし。
⑧ 「日本の教育は、どんな人をつくりたいのかな」
【くう】
学校はきちんと通って言うこと聞いていく人を育てる場。そうじゃない人を切り離していく。スウェーデンは自分たちで時間割を考えていくという話があった。じぶんで自分を考えて判断できる人をつくりたいという目標があって、それが順番におりてきて作られている。そういう意味でそれが小さい頃から徹底されている。
もし、日本で自分たちの最終目標を変えず、スェーデンのシステムを入れるとたぶん上手くいかない。きちっと管理された場から、主体性を求められる場にくると、そんなことを考える必要もなかったし、混乱してしまう。一番の最終目標と途中の目標と、食い違っているから、最後は押し出されてわけがわからなくなるという感覚がある。
これまでの自分を振り返ると、そうだったのかなと、私は納得している。
【カボ】
急に社会に出て求められることってこういう感じなんだと思って、共感した。
⑨ 「自分を主張できないから、考える力なんてつかない」
【よし】
一個思ったのは「社会を結び直す」のなかで、循環でいけるうちは決められたことをやっていくというのにはまっていた。その記憶があるから、今急に考える力とか言われてもうまくいっていた人が急に変えていくことは難しいと思う。
【カボ】
なにかを変えるか変えないかは別として、考え方がたくさんあるとか視野が広がるというのがわかるだけで全然違う、心の余裕ができる。そういう考えがわかったらと思う。
【トント】
前に西久保の園長先生が人との信頼関係は保育園から始まると言っていた。緊張しておむつにうんちをしていた子が出来るようになったりしたときに、保育士さんが喜んだ経験が信頼関係となって、自己肯定感になったり、人とちがっていいんだというベースになる。最初の評価や、共感からはずれちゃうと不安になるのかな。
信頼関係を築けるということをしてこなかったし、話せたり、話そうとしてこなかった。そういう経験をしてこれたらよかったのにと思った。
【オカリン】
息苦しいというか、主張せず自分のしたいこともわからないことになっていった。
【廣瀬】
話を聞いていて思うことは、みんなにとっては学校という枠の中に存在していること自体が、大変だった。例えばメールの返し方、嫌われない対応の仕方とかそんなことに神経をすり減らしている。自分のこと話したり、友達や大人のいろんな考え方に出会って自分が分かってくるはずなのに、それが出来ないと生き方を考えるなんて次元の話にはならないよね。
【くう】
自分で考えていけるようになるには自己肯定感をもてるように小さいうちからいかないと。それは学校でも家庭でも必要なことだと思う。
【カボ】
自分を開くのって難しいと今でも思っている。関係性の中で徐々にやっていくことだから経験を積んで行けたらいい。
【くう】
そういうことが徐々に経験していける学校だったらいいのに。
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