①「うまく来れた人とそうじゃない人」の違いって何だろう?
【オカリン】
家庭環境に違いがあるのではと思った。
前向きになるか、後ろ向きになるかは家庭が大きい。
【くう】
よしぴの、学校でうまくいくのは運だと思うっていうのが疑問を感じる。
それっていいことなのかどうか?
学校で苦しければ他にいくのは健全だと思うけど、じゃあ学校はどうするのか?というのがある。
【よしぴ】
先生をしている友達が以前、家庭がしっかりしている子は宿題もしてくるけど、しっかりしていない家庭はしてこないという話をしていた。
学校は、家庭が「安心」ベースになっている。
【あいあい】
私は、家族関係もよくなく、違和感をずっともってきて、就活でそれがポンと出た。
自分がずれてたんだというのがわかったという整合性がついた、絶望があった。
【くう】
やっぱりそれって違う教育のシステムがあるというのを知らなければそういうことに気付けないし、自分で考えないと大変なことだとわからなかった。選挙もそうで、意味がないということじゃなくて。自分がこうだと思っていかないとふわっといってしまう。
【あいあい】
世の中とか学校とかに、個人としてみてもらえなかった。
自分が思うことや意見の交換もしたかったけど、みんな忙しいし、降りてくることに従うことに一生懸命で、子どもが主観的に動くものと大人が思ってくれていなかった。
家族学校で受け入れてもらえなかったら、ほかで、違和感があることを認めてくれる場所があること。
ふわっと行けた人はそれがどこかで供給されていた人だと思ったり。
うけとるためだけの生き物としていた。
学校にいきたくなかったときも親はいけというし、学校はよく来たねというだけだった。
【よしぴ】
前回自分の話を結構したけど、自分でも普段気づかないような疑問を、いつもと違う視点で見れる機会があったら、理解もできて社会の中での自分の位置を認めることが出来たり違った道があったのではと思う。
自分の生活の範囲の中でそれが供給されている人はラッキーだと思う。
【よし】
小中で学校に行けてなくて言うよりもっと先の年齢で引きこもりになる人も多い。
【くう】
いろんな状況の家庭があるし、個人的にいろいろ問題もあると思う。
そういういろんな人がいて当たり前なんだよね、という事に最初に接するのが学校だと思っている。
でも何かが違うと外れてしまうというのが最初からあるとそれがどんどん蓄積されて爆発してしまう。
そんなことがないような世の中がいいと思う。
「いろんな人がいる、そういうもんだよね」みたいな。
【くう】
そもそもどういうところが違和感だったのかと言うところをはっきりさせたい。
私たちの感じていた違和感って?
【オカリン】
子供や高齢者を対等に見ていない人が多い。
自分の都合で子供をコントロールできる気がしているんじゃないのかな。
子供だって考えてるのにそんな風に思ってないんじゃないかな。
【ちぃたろ】
「供給されていた」という事は自分の意見を一定聞いてもらえていたということ。
自分は彼女みたいな違和感を感じていなかったのは高校時代以外は家庭や友達に聞いてもらえていたから。
高校時代にはそれがなかったから違和感を感じていたという整理がついた。
【よしぴ】
小学生くらいまでは自分の意志があった記憶がない。
【オカリン】
ちぃたろにはあったものが自分にはなかった。
自分がもっとそうしていきたいという思いがあればそうなったのかな。
【ちぃたろ】
親からも聞かれるから自分からも出せるし、意識したことはなかったけど無意識でも出来るようになっていったのかな。
【オカリン】
父親なんかも反応が悪くて話していても何もかえってこない。
【ちぃたろ】
うちは肝心なことをちゃんと受け止めてくれるという信頼感がある。
【よしぴ】
話したくない、と言うのがちょっとあったかな。
お母さんも仕事をしていて物理的に時間もなかった。
友達とも外から見ればうまくやっているように見られていたから先生も母も安心していたと思う。
周りに合わせて楽しくできる自分と、いろんなことに神経質になっちゃう自分、些細なことが気になる自分という面を見せたくなかった。
【ちぃたろ】
今の時代は余裕がなさすぎる。
【よしぴ】
近所付き合いのある一軒家からマンションに引っ越した時に人付き合いは少なくなった。
大きくなるにつれて少なくなってくるけど、そういうのって大きくなるにつれて必要になってくる、いろんな事考えたりするために。
【ちぃたろ】
確かに自分も相談できる人がいなくなった時に折れた。
自分のことをわかってくれる場があることは大事。
【カボ】
違和感を感じた時に、自分はどういう風になるのか、それはそれぞれ違う。自分を責めたり相手のせいにせずに作っていけたらいいなと思うけど。
相手に肩を貸してもらうとかいうことが出来たらいいと思う。
居場所でそういう風に支えてもらって自分を取り戻していった気がする。
【オカリン】
廣瀬さんみたいにちょうどよく話せる人がいない、親でもないし。
【ちぃたろ】
斜めの関係性の人がいない。
【よしぴ】
子供からしたら「親はなにがあっても自分の味方、親には弱みがない」くらいに思っていたのに、そうじゃないとわかった時はショックだった。
先生もそう。
子どもは言われるがままにって感じに組み込まれているのかな。
【オカリン】
親が完璧、先生は間違わない、みたいな感覚は取り払うべき。
そう考えれば新しい見方ができると思う。
【カボ】
自分は自分を責めてしまったり改めなければという風になってしまう。
自分の気持ちを話すことはサポステで初めてやって、受け止めてもらうことは大事だと思った。
いやだと思うことを受け止めた時に自分はどうなるかわかっておくことは大事かなとも思う。
自分の思いを受け止めてもらうようになって
【よしぴ】
自分が仕事もできなくなってひきこもって、はじめて人とのやりとりができるようになった。自分だけでやっていくのは無理がある。
そうなって初めて気づいた。
「風のすみか」での振り返り(みんなと話す場)が嫌だったけど、そうしていくほうがいいんだろうなと初めて気づいた。
そこではじめてやりはじめた。
【カボ】
今はだいぶ違うと思う。
違ってきた。
自分だけで考えているとだんだんずれてくる。
なんか情けなくなってくる。
なぜこんな独りよがりなのか。
「風にすみか」とかくるようになって、人の話を聞いてこなくて言ってこなかったんだと気づいた。
【ちぃたろ】
ささやかでも自分のことをわかってくれる場があることは大事。
居場所でそういう風に支えてもらって自分を取り戻していった気がする。
【廣瀬】
最後に今日の話のまとめ。
「学校」では、単純に規則を守るとかいう事だけではなく、自分を出さないし、本音を言わない。
なぜかというと排除されるのが怖いから。
自分の思いを話すことで自分を理解し、考える力がつくはずなのにその機会が少ない。
学校だけでなく、家庭でもそれ以外でも。
話さなくなると、自分が何を感じ、どういう人間なのかが分からなくなる。
上手くいっている人と、そうでない人がいるのは、話せる場があったかなかったか、そこに違いがあるのではないか。
地域や学校や家庭に話せる場がないという人が増えている。
世の中全体がそうなってきているのではないか。
サポステや「風のすみか」にきてそれを取り戻している感がある。
自分の本音を話し、受けとめてもらえる場を学校の中にも外にも作っていくことが大切なのでは。
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