①「大きな流れに乗らないといけない」と思った。
【ちぃたろ】
進学、就活という流れに乗りはしたけど、ところてんみたいに押し出される感じはあった。
大きい流れに乗っていかないとなと思っていたのが大学3年の頃。
【よしぴ】
大学受験では最初は薬学部に入りたくて一生懸命勉強してた。
高3の夏ってすごい勉強する時期だけど急にいやになっちゃって勉強をやめちゃった。
そういう話を家族にすることもなかった。
薬剤師になってもずっと勉強し続けなきゃいけないし。
勉強したくないから結局は入れるところに。
みんながみんな大学に行きたい理由が、「これがやりたいから」みたいな感じじゃなかった。
普通は大学に行ってその間に将来を考える時間があったのかもだけど。
大学をあきらめて選んだ道だからそれを変えちゃいけないんだと思ってその道に進んだ。
【くう】
大学が音大でひたすら歌っていただけだったが、ちゃんと考えてる子は就職していた。
自分は本格的に歌をやりたいと思って行って、そこでただやっているだけで楽しくて仕方なった。
その場をすごく楽しんでいただけだったので、ここを出て何をしたらいいんだろう、何が出来るんだろうという感じのままで「働く」ということに直面してしまった。
そうなったときに「大学にこんな長いこといたのは道楽?」って思ってしまった。
わたしも大学は「それがやりたい」と思う人が来るところだと思っていた。
そうまでして好きなことをやってそれが仕事にできず働く能力も身についていない自分。
この道を選んだからこの道を選ばなければ、と言う感覚はよしぴさんと一緒かも。
【カボ】
自分の意志と関係なく就活をすることに納得していなかった。
このまま行っていいのかと思った。
やる気のない状態だったのでそこに行く気持ちも気力もなかった。
考える時間があれば解決するという問題でもなかった。
人に対しても社会に対しても信頼がなく怖かった。
大人ともう少し話が出来ていればよかったのかも。
人が怖いという感じがあった。
怖いから何も言えないし、どこに行くんだろうという感じがした。
②社会に出るのが怖い
【ちぃたろ】
自分は週5朝から夜まで働くということで、自由ではなくなるイメージがあった。
仕事に伴う責任という意味でも、失敗しちゃいけないと、求められるものには応えていかないとという感じがあった。
これまで流れに乗ってきたからこそ、その中でかっちり築いてきたものをもとにやっていかないとというイメージであった。
そのかっちりしたものをずっとやっていかなきゃいけないんだという事への怖さがあった。
【オカリン】
確かに間違っちゃいけないとかいう怖さはあったけど、大体の人がうまくやってるし自分もできるんじゃないかと言う感じはあった。
やっていくうちに育っていくんだろうなと思っていた。
【よしぴ】
逃げられない、って感じがあった
【くう】
私って働けないな、と言うのがあったので、この先飢えて死ぬという思いしかなかった。
そもそもその土俵に立てないことがダメなんだと。
具体的にこれが出来るというものもなかったし、資格も何にもない。
この仕事をしたいという事もないので自分に何が必要かもわからないし。
ひとそろえ何か持っていないと働けないと思っていた。
今思うとすごく漠然としたイメージだけど、昔は大学出るときは働くためのひとそろえを持っていると思っていた。
【トント】
くうさんの気持ちに共感する。
なにかもってないと学歴とか視覚とかそれがないと働くとかできないなとおもった。
③働くということのリアルなイメージが無かった
【くう】
学校から出た先のイメージがなかった。
周りは働いている人ばかりだったのに何をしているのかなんてわからなかった。
そういう状態で働きに行ってもいいんだという考えがなかった。
―昔は農家や商店で、身近に働いている姿を見ることが多かったが、今は会社勤めや、仕事内容の高度化が進み、仕事っていうもののリアルがわからないってことなのだろうか?
【ちぃたろ】
言われてみると親の働いている姿ではなく、テレビとかで「会社」で働く姿をなんとなく見ていた、そういったメディアをもとにイメージしていた。
でも自分の実体験を伴わない情報は特に悪い方へとイメージが広がっていっちゃう。
④「選択を間違ったらいけない」よく分からないのに決めなければならないプレッシャーがあった。
【カズマ】
僕は大学に行くタイミングで引きこもった。
受験の時に思ったのは「選択肢が一気に広がりすぎ」ってこと。
学科がたくさんあってそれを選んだらその仕事を選ばなきゃいけないような、その仕事を40年やっていかなきゃいけないのか、と言う違和感はあった。
【オカリン】
なんでその選択じゃなきゃいけないわけじゃないんだよと言ってくれる人がいないんだろ?
【ちぃたろ】
「違ったら変えてもいい」が一般的じゃないよね。
―自分としてはコースチェンジするんだと思ったのに、世間ではコースアウトに見られてしまう。
自分も胸を張ってコースチェンジと言えればいいけどその自信もない。
【ちぃたろ】
「転職」に関してとらえられているマイナス面って、一か所の「グループ」の中にいられないんだなってみなされちゃうことにあると思う。
協調性の無さのようなとらえられ方。
そこにどれだけいたかってことが重視されて、長くいればそれだけで評価される。
何度も「転職」していることがよく思われないのはそういうところだと思う。
「グループ」の中にいられるということは、その中での繋がりが強くなって、それに伴って支えあうようないい面もあるけれど、そこに入れなかった人、外れてしまった人は排他的に扱われて、そこにいられなくなる。
それが怖いから「外れないように」することに必死になるんだと思う。
【くう】
スウェーデンがすごいなと思ったのは、自分の選択が「自分がどう生きたいか」に繋がっていくこと。
日本はいかに世の中に「自分の場所を作っていくか」が最優先。
うらやましいとは思うけど、いざ自分がスウェーデンのようにできるかと言えばそうではない。
外付けの理由で動いているといつか動けなくなるとは思う。
生きていくという事と働くという事があまりにも直結してしまっている。
佐藤先生が「労働」と「仕事」は違うと言っていたけどそういう事なのかな。
⑤働いている「今」。思う事。
【オカリン】
今思っていることは当時の自分が思っていたことと別のこと。
仕事は変わっても大丈夫だし。
当時の自分は知らな過ぎて流れでやっていたけど、ちゃんと調べたりしながら考えてやっている。
【よしぴ】
こうじゃなきゃいけないという強いものはなくなった。
自分が出来ることを考え始められた。
今やっていることでこの先、生きていくためには何を身に着けたらいいかを考えるようになった。
まだ世間的に見たら何やってるのこの子、と思われるかもだけど、それが気にならなくなってきた。
ここにきて話していることでそういう風に考えられる。
【ちぃたろ】
社会に出るときに感じていた「こうじゃなきゃいけない」「こういう自分でないといけない」という考えは昔より薄れたけど、やはり一定流れに乗れてきたなかで培われてきた価値観に引っ張られてしまう自分がいる。
とても根深い。
若者と関わる仕事をしている今、同じような価値観をもって苦しみ悩んでいる若者と話していると、「こうじゃなきゃいけないわけではないんだよ」って話すときがあるけど、そう話しながらも自分自身がまだそこに追い付いていないところもあって。
言いながらも自分に刺さる。
それでも「こうじゃないいけないわけじゃない」って言っていこうと思っている。
【カボ】
落ち着いて仕事が出来るなと思うようになってきた。
いろいろ話してわかってきたことがあって、あんまり焦らず出来る。
働き方がわかってきて、忙しい時はやばいなと思うけど、先生たちに話せるからいい。
一人だと考えが集中しちゃってリフレッシュされない。
やっていくうちに「こんな感じなのかな」って。あんまり考えるのもやめた「明日もあるし…」って。
【くう】
全く何にもできないわけじゃないんだなって思う。
職場でも「できてるね」って言われてそうかと思う。
人と関わっていくと仕事がやりやすくなると思うので自分もそうなっていかなきゃと思うけど、できない。
お友達ではないし、評価をする目で見られていると思うと臆してしまう部分もある。
でもそれが出来ないからダメなんじゃなくて他にできることもあると考えられるようになった。
経験してやってみて出来た方が「できると思って大丈夫」と思える。
作られた空気の中に入っていくんだと思っていたけど、自分もその空気を作っている一人だと気が付いた。
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