家族を想うときを観て takeの感想

≪ストーリー≫ 
イギリス、ニューカッスル。ターナー家の父リッキーはマイホーム購入の夢をかなえるため、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意。 母のアビーはパートタイムの介護福祉士として、時間外まで1日中働いている。16歳の息子セブと12歳の娘のライザ・ジェーンとのコミュニケーションも、 留守番電話のメッセージで一方的に語りかけるばかり。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、子供たちは寂しい想いを募らせてゆく。 そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう。 "家族を想うとき"

≪感想≫

端々のシーン(訪問介護先のお婆ちゃんがストライキの写真を見せるところ)などで連帯することが昔は出来たということを見せつつ、それが出来ない環境の過酷さを描いていた。
また、スマホや配達デバイスを家族を分断するものとして描きながら、同時に息子が如何にスマホを大事にしているかを母親が説くことで 一面的なテクノロジー批判ではない形でありながら、その利便性によって逆に人同士が繋がれなくなっていることを上手く描いていたと思う。
全体的な印象として、資本主義(及びそこで浮かび上がる家父長制)の問題点を照射しながらも、あくまで個々人の問題にしていないバランス感覚が絶妙で、齢八十そこらのジジイが撮っている映画だとはとても思えなかった。
個人的には父親の「家父長かくあらねば」という価値観がキツく感じた。
だからこそ結果として家族の気持ちは離れていく訳だけど、これだけキツい状況で不器用に家族を想う父親自体は決して責められるものではなく、やっぱり可哀想なんだよなぁ。
男らしさの呪縛から降りることが、イコール資本主義のレールから降りオルタナティブを目指すことになればいいのにね、というのが 俺なりにこの映画から受け取ったことです。

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