学生時代を振り返って その2

③職場で自分を出さない 

-前回の「自分を出さないことで仕事をしてないんじゃないかと職場で怒られた」という発言があったけどみんなはそういうことがありましたか? 

【オカリン】
言われたことをやるだけで。どういう意味を持つかとは考えずに働いていて怒られたことはあった

【くう】
あまりしゃべらないのでおとなしいねと言われたことはあったが...。

【ちぃたろ】
「自分で考えろ」と言われずっと考えていると「なんで聞かないんだ」と言われてわけがわからなくなった。

【 くう】
仕事のやり方や人に聞くことって自分のやることに自信がないから「やりなさい」と 言われたことをとにかく上手にやってきた。
人とのかかわりでもうまくやる自信がないか ら「うんうん」と話を聞くだけになってしまう。そうしないと始まらない。

【カボ】
仕事の中で自分を出す、という感覚が良くわからない。 

【くう】
こうしてみようとかこうしたほうがうまくいくかもという思いを表に出せない。
会社の人のやり方を見ていてすごいなと思う事があっても真似してやってみることができないでいた。
自分で判断してできるというところが私にはない。
それって自分で考えて判断するってことに自信がないんだなと思った。
何とか形に合わせるというやり方しかできない。

【オカリン】
その一つの理由に「大きくはずれること」への抵抗があるかもしれない。

【よしぴ】
職場でまわりの人を見てると、自分の判断を外に表現している方が多いなと思う。
わたしは考えて判断することができる範囲が前よりは広がったように感じる。
でも、まだまだその判断材料が少なく感じる。自信もない。

【カボ】
やりたい気持ちって気軽に出せない。パッといけない。

④学校での経験

-そういう経験が少ないから? 

【カボ】
学校時代もやりたいって気持ちもそんなにないし、そういう経験はなかった。

【オカリン】
自分も自信のあることなら言えたけど、得意じゃないことは言い出せなかった。

【くう】
学校でそうなんだからそれが積み重なって、仕事でなんてなおさら自分を出すなんてことできないと思ってしまっている。

【ちぃたろ】
問われないと主張しないできたかもしれない。
どうしてもこれは譲れないと言うことはなかった。

-「協調性」が問われるからそうなるのかな。

【トント】
話の流れに入っていくのが自分は苦手。
だから流れていくのを見てしまう。
きっかけがないと入っていけない。
物事がわかってからじゃないと決められないから周りでどんどん決まってしまう。

【くう】
すみかを始めたとき「ここはいっぱい失敗していい」と言われ、安心感が保証されているとわかったから言えた。
学校とかでそこに躓かずに行ける人もいると思うと自分て何なのかと思っちゃう。

【よしぴ】
人と接する時にいろいろ神経質になっちゃう原因も自分の感じ方や考え方に自信がないので「相手にに嫌な思いさせてしまうのではないか?」をまず最初に考えてしまいがち。
すみかでは意見や自分の考えを言えていたようで、自分の中で”すみかでの研修生”という枠をなんとなく決めていて、その中で発言していたように振り返ってみると感じる。

【ちぃたろ】
自分は学生生活はわりと順風満帆だったと思っているけど、中学は安心できる場だったから自分が出せた。
でも高校はそうじゃなく自分が出せる場ではないと思っていて早く大学に行きたかった。
大学に行ったらまた自分をわかってくれる場に出会えてまた自分を出せるようになった。
なるべく波風を立てないようにしていないといけない。
なぜ高校はまわりに合わせないといけないと言う感覚だったのか。

-何をやっても受け入れてくれる友達がいなかったということ?

【ちぃたろ】
友達だけじゃなく先生もある。
自分の考えを否定する先生がいて、正しいことをしないといけない感じになった。
無難に過ごさないとと。

【カボ】
「外れないように」ということにまじめに取り組んでいたと思う。
自分は何を怖がって何を守ろうと思っていたんだろうと思う。

【オカリン】
小学校の時に教室から出ていっちゃうことかをへんな子だなと思っていた。今はそう思わないけど。

【ちぃたろ】
今ある形の中に入っていくための教育になってしまっている。
1対1で話すという関係は、シンプルだからまだそういう話もできたけど、今ってネットを介してつながったりしているからもっと複雑なんだろうなと思う。
コミュニケーションツールがたくさんあるからこそもっと「外れちゃいけない」という感覚になるんじゃないかな?
学生時代、他愛ない話に次の日ついていけなくなるのが怖かった。

【くう】
今の子たちって人生について語り合うなんてことはないのかな。
神経をすり減らすようなコミュニケーションをするような場に学校がなっているのかな。

【カボ】
そういうところに入っていけない自分が悪いと思っちゃう。
自分を責めて、自分がだめだと思っちゃう。

【ちぃたろ】
学校が人とのやり取りを学べないところではないと思うけどそれがしづらくなっているのだと思う。

【オカリン】
学校でやれるかどうかは「運」だと思う。
でも今はネットを介していろんな意見を聞けたりもするから、そういう意味では今のほうがいいかもしれない。

【ちぃたろ】
学校だけじゃなくてもいいという選択肢がもっと一般的になっていくといいんだと思う。
ネットの中でやろうとすると怖い部分もあると思う。

【オカリン】
主体性がない、ということが自分がわからないということにつながっていくのかな。

⑤”大丈夫な場所”をつくるには

【ちぃたろ】
言葉や文章にしないと自分の考えが定まらない気がしている。
そこがどう見える か外からの見方があって、今まで見えなかった部分が見えて自分が形作れる。
自分が分からないと自信が持てない。

【よしぴ】
ハッキリ出してみないとそれがいい判断なのかそうじゃないのかあやふやでいつまで経っても身になっていかないのかなと、最近感じ始めた。

【くう】
新しい場所を「大丈夫な場所」にしていくためにはいろいろなやり取りをしていかなきゃいけないんだろうけど、そこをやる自信がない。
学校がそういう場所であれば自然にできるようになるのかなと思う。

【トント】
安心できる場があらかじめあればいいけど、そうじゃないところに入ってしまったらどうしようと思う。

-今日話してみてどうでしたか?

【カボ】
自分を表現することは価値があると言うことが分かった。

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